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羅先特別市

羅先特別市(らせんとくべつし)は北朝鮮北東部に位置する特別市。人口約13万人(1992年)。

羅先はかつて羅津・先鋒(旧称・雄基)と並称されていた2つの地域からなる。海外資本に開かれた特区「羅先経済貿易地帯」を擁する。
雄基地区には新石器時代の貝塚があり、日本統治時代に調査が行われている。古代には高句麗・渤海国の地であった。女真族との抗争の末、15世紀前半に朝鮮王朝の支配下に入った。

日本統治時代、羅津(ラジン、らしん/라진)と雄基(ウンギ、ゆうき/웅기)という2つの町があり、もともと咸鏡北道慶源郡に属していた。これらの町は、日本からの船も入り工業都市ともなっていた清津市の近くにあたり、羅津は漁村、雄基は国境を守る部隊の駐屯するそこそこの大きさの港町だった。

1932年に満州国が建国されると、この地は日満間の連絡ルートとして脚光を浴びることとなる。当時、日満間のルートは以下の1,2が使われていたが、3が想定されるようになった。

1. 朝鮮海峡を渡り釜山から鉄路を経由する陸上ルート
2. 大連に入港して南満州鉄道を使う大連ルート
3. 朝鮮北部へ海路で渡りそこから満州東部に鉄路で連絡する日本海ルート

咸鏡北道北部は東部満州には一番の近道であるほか、沿海州のソ連軍(赤軍)からの防衛など軍事作戦のために重要な地域であると見なされ、開発が進められた。とくに満洲に最も近く良港である羅津には、海陸を連絡する大規模港湾が新たに整備された。朝鮮総督府鉄道路線の満鉄への委託や、私鉄の買収により、満州(延吉や牡丹江)へ連絡する建設中の鉄道と既存の鉄道が結びつけられた。境港・敦賀・新潟などから清津~羅津~雄基の定期船が運航され、ここから多くの日本人が満州東部へ渡った。

1945年8月8日、ソ連軍の対日参戦とともに羅津・雄基は空襲を受け、12日にソ連軍が最初に上陸した。北朝鮮の「正史」では、8月12日に金日成率いる朝鮮人民革命軍が羅津や雄基などに上陸したことになっている。北朝鮮の成立後、北辺に位置するこの地域はソ連や中国との貿易でややにぎわう程度だった。1980年代はじめに、朝鮮人民軍の最初の上陸地であることを記念して、雄基は先鋒(ソンボン)と改名された。

1980年代末から、市場経済化の進むロシア極東(沿海地方)、同じく市場経済化が進むが港湾のない中国東北部(港湾都市の大連などがある遼寧省は除く)、そして北朝鮮の3ヶ国が接する場所として注目を集め、この3ヶ国が共有する豆満江デルタとその周辺を北東アジアの玄関となる国際貿易地帯にする計画が浮上した。1990年代はじめ、国連開発計画の主導で進められる豆満江地域開発計画の一環として「羅津・先鋒経済貿易地帯」が発足して羅津 - 先鋒直轄市が咸鏡北道から独立し、政治的・思想的に問題のないエリート階層がこの地に転入して例外的に市場経済化の実験が行われていた。2000年8月に羅津-先鋒の地名が「羅先」に改称され、現在に至る。

経済特区という特殊な地域であるため、行政的な位置づけの変化が激しい。2005年1月、再び咸鏡北道に編入され、特級市となったと報道されたが[1]、2006年9月には中央政府の直轄市として統治されていると韓国側では観測している[2]。2010年1月4日の最高人民会議常任委員会政令により特別市に位置づけられた[3]。

一時期、羅津区域・先鋒郡という下部行政区域があったが、現在は確認されていない。

ウィキペディアの記事: http://ja.wikipedia.org/wiki/羅先特別市
羅先特別市 の位置

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